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Thursday, December 22, 2011

topless jeogori 乳出しチョゴリwikipedia

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李氏朝鮮時代から20世紀半ば頃まで下級階層で男児を生んだ女性は乳房を露出する乳出しチョゴリを着用していた。当時の朝鮮人女性はこの衣装を「長男を生んで社会的義務を果たした」として誇りに思っていたのである。日韓併合で禁止されたが朝鮮戦争頃まではみられた。


チマチョゴリ(以下:ウィキペディアより)

チマチョゴリは、朝鮮の伝統的民族衣装である韓服(朝鮮服)の一種で、チマおよびチョゴリからなる女性の装い。

概要

女性用韓服は、男女共通の上着であるチョゴリと、巻きスカートであるチマ(裳)によって構成される。

韓国では、袖のやわらかな曲線、全体を引きしめる白地のトンジョン(半襟)、合わせ着のように着る形が、「民族衣装韓服の3大美」とされている。しかし、近年では合わせ襟でない形式のチョゴリも登場している。

一方、日本国内にある朝鮮学校では、女子学生の制服としてチマチョゴリの様式を取り入れている。これは白いチョゴリと黒いチマを着用するものだが、北朝鮮ではこの色彩のチマチョゴリが女性の正装になっている。なお、韓国ではこの色彩のチマチョゴリは見られないが、民族史観高等学校では最近、チマチョゴリを制服として採用した。


歴史

朝鮮時代には貧弱な上体とふんだんな下体が美しいと思って、チョゴリは急速に短くなってチマは長くて広くなった。朝鮮王朝の後期から妓女服の影響で丈の短いチョゴリと狭い袖が流行し、服の着脱の度に袖をほどかなければならないほどになったこともあった。

また19世紀からチョゴリが乳房を覆えなくなったため、両班層の女性は通常胸覆いを使ったが、下級階層、特に男児を生んだ女性は乳房を露出することもあり(李朝時代に描かれた風俗画や、李朝末期から20世紀半ばにかけての朝鮮風俗を撮った写真には、乳房を露出した女性の姿が少なからず見られる)、当然ながらこの流行は儒学者の非難を受けた。日韓併合後には、男子を出産した女性が乳房を伝統的に露出する事を禁止にされ、1930年代から女性の社会進出が始まるとチョゴリの丈は短くなり始めた。

現在一般に見られるチマチョゴリは原色を使い派手な物が多い。しかし、朝鮮民族が「白衣民族」と自称してきたように、昔は普通白い服を着用し、常にその白さを保ち、かつより白くする事に非常に努力していた。この背景には朝廷による庶民に対する色付きの服の着用の制限の影響もある。ただし女性のチマはこの限りでは無く、娘と未婚女性、花嫁は赤いチマ、既婚女性や中年女性は藍色のチマ、老女はあさぎや灰色のチマを着用した。生成りの漂白されていないチマとチョゴリは主に未亡人や喪中の女性が着用した。


色彩と身分表示

朝鮮時代には服の色で自身の境遇を表した。未婚の娘は真紅のチマと黄色のチョゴリを着たし、新婦は真紅のチマと黄緑色のチョゴリを着た。

既婚者は藍色のチマと空色のチョゴリを着た。チョゴリの袖先が藍色なら息子がいるという表示で、紫朱色の結び紐をつければ夫がまだ生きているという意味だ。

王家や名門勢道家は金箔で模様をつけることができたが、文禄・慶長の役以後には両班が増えるにつれて一般化した。

★ 朝鮮紀行 (講談社学術文庫) イザベラ・バ-ド (著), 時岡 敬子 (翻訳)

英人女性旅行家イザベラ・バードが描く19世紀末の朝鮮の素顔
英国人女性旅行家イザベラ・バードが朝鮮を訪れたのは、1894年、62歳の時のことである。以後3年余、バードは4度にわたり朝鮮各地を旅した。折りしも朝鮮内外には、日清戦争、東学党の反乱、閔妃(びんひ)暗殺等の歴史的事件が続発する。国際情勢に翻弄される李朝末期の不穏な政情や、開国間もない朝鮮に色濃く残る伝統的風土・民俗・文化等々、バードの眼に映った朝鮮の素顔を忠実に伝える名紀行。

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